観音ガールの南無なむ日々 

はじめまして。こちらは滋賀県長浜市地域おこし協力隊観音ガールのブログです。長浜の観音文化をはじめ、歴史や仏像について色々綴っていきます。

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【徒然】雨森芳洲ってなんで学校で勉強したの?

初めて大津へ行ってきました

 

滋賀県教育委員会主催 

「滋賀の文化財講座打出のコヅチ “朝鮮通信使と近江”」

受講して参りました。

 

江戸時代は鎖国のイメージがありますが、琉球王国(沖縄)と朝鮮とは正式な国交がありました。

その朝鮮からきた外交使節のことを朝鮮通信使と言います。

 

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 ※朝鮮通信使絵巻

 

彼らの多くは将軍が代替わりする度に朝鮮から江戸へ行きます。

滋賀県では中山道を通らずに朝鮮人街道を通って江戸を目指しました。

 

朝鮮通信使のキーマン…

 

そんな徳川6代将軍家宣さんのときに朝鮮通信使随行した長浜ゆかりの人物がいます。

この方、ご存知ですか??

 

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芳州会所蔵 

 

現在の長浜市高月町雨森の生まれ。

雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)です。(1668~1755)

 

高校で日本史を勉強していても記憶にないかもしれないです。

私も存在こそ知っていても「朝鮮通信使」に関係した儒学者くらいの認識です。(ごめんなさい。)

 

簡単に言うと、江戸時代の外交官です。

豊臣秀吉さんの文禄・慶長の役朝鮮出兵)にて両国の関係はギスギスしてしまいました。

その関係の修復に尽力したのが、芳洲さん。

 

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※『新詳日本史』より 

 

芳洲さんは外交官として語学を学んだだけではなく、

実際に朝鮮にわたって、朝鮮の文化、産業理解に努めました。

その結果、日本と朝鮮の関係を良好にし、文化交流も活発となったのです。

 

 外交の心得

 

そして芳洲さんが記した外交の心得書『交隣提醒』(こうりんていせい)には

「誠信(じょうしん)と申し候ハ、実意と申す事ニて、

互いに欺かず争わず、真実を以て交り候を、誠信とは申し候。」

 

つまり、

 

誠実というものはまことの心のことで、

お互いに欺かず、争うことなく、偽りなく交流することこそが誠実というのです。

と、いうことです。

 

まるでお坊さんのお説法のようですね。

朝鮮での生活と日本と朝鮮の相互理解に尽力したからこその

一種の悟りのようなものが見えたのでしょう。

 

語学を学び何か足りないと思い、現地に飛び込んだ

芳洲さんの行動力がすごいですね。

現在のように「ちょっと留学行ってくるね」という時代ではないのですから。

儒学者という堅いイメージがありましたが

必要では?と思えばすぐ行動する姿勢、見習わなければと思います。