観音ガールの南無なむ日々 

はじめまして。こちらは滋賀県長浜市地域おこし協力隊観音ガールのブログです。長浜の観音文化をはじめ、歴史や仏像について色々綴っていきます。

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【徒然】天正の大地震と長浜十人衆

 

 地域おこし協力隊のまめかなです。

先日、ようやく観音ガール邸にTVが導入されました。

PC画面ではなく、映像を見られるのは疲れにくくていいですね。

決算月まで待っていてよかったなと思いました。

 

さて、そんな観音ガールにTVがないとき

滋賀県が取り上げられていたそうで、

関東にいる兄より一報入りました。

 

「おまえがいる場所はそろそろやばいぞ!」

なんて失礼なこというのでしょうね。

浅間山も富士山もあるから関東も危ないよ」とだけ伝えておきました。

 

なんでも27時間テレビ天正の大地震について取り上げられていたらしいです。

せっかくの機会なので、関西・中部地方を襲った天正の大地震について調べてみました。

早速、長浜市立図書館へ

平凡社新書「秀吉を襲った大地震」を拝借。

 

手に入った情報は以下の通り。

 

・「千戸の人家あるながはま邑に於いては其人家の半を転覆し半は出火のために焼滅しけり」

 当時の日本にいた宣教師たちの記録を編纂した『日本西教史』より

 ※下線部は追記

・震度6以上と推測される

・「下村藤右衛門邸発掘調査」により厚さ20~50センチの焼土層がみつかり、

  また礎石の一部がすぐ下の砂層に沈んでいて、液状化があったことがわかった」

  1996年の長浜市教育委員会の調査により

                                以上。

 

実際に液状化した様子も焼土層も見ていない私には今一つ、

その凄まじさが理解できなかったです。

またその後の復興がどのようなものであったか気になりますが、

すぐに資料を見つけるに至りませんでした。

 

ところで、

「下村藤右衛門邸発掘調査」の下村藤右衛門って何者でしょう?

少し調べてみますと、

 

秀吉から自治、警察権などを与えられていた

「長浜十人衆」の一人ということがわかりました!

 

「長浜十人衆」ってなんだか、七本槍のようで格好いいですよね。

 

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十人衆とは

 長浜城下町は豊臣秀吉の時代、49の町を10組に分け、

 各組に一人ずつ町年寄を定めた。

 宮部。西村、下村、田辺、樋口、川崎、大依、安藤、吉川、今村をさし、

 代々引き継がれていた。

 

あれ?もしかして街中を散策していた時に

お家に「組長」という札がかかっていたのはこの名残でしょうか?

急ぎ事実、確認します。

 

※後日写真入れます

 

さらにその十人衆のうちから三人選出されて、長浜の町政を任されていたようです。

これは長浜のまちづくりがどのようにして成り立ったか、

手がかりになりそうですね!

 

そんな組長な下村藤右衛門さんのお家の地盤が液状化して焼けてしまったと考えると、

明らかにほかの一般の町人のお家は無事なはずがないですよね…。

 

今夜、ここまでしか掘り下げられなかったですが、

長浜市史』を傍らに十人衆と長浜の成り立ちに迫ってみたいと思います!

 

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